さらべつ

僕が思い出せる最も古い記憶は更別村の風景だ。

更別村には幼稚園の年中組まで住んでいた。畑が地平線の先まで続いていてそこにアスファルトの道が1本通っているだけの風景だった。家の近くには消防署があった。兄は更別小学校に通っていて、なぜか私も「さらべーつ、さらべーつ、さらべーつしょーがっこー」という校歌を覚えている。よく母親に連れられて広尾線に乗って帯広に行ったものだった。私は帯広の病院で産まれたのだが、当時両親は大正町に住んでいて、その後更別村に引越ししたと聞いた。その頃怪獣映画「モスラ」を劇場に見に行った記憶があるのだが、調べてみると「モスラ」の公開は1961年、私が産まれたのは1970年だから計算があわない。当時「ミリンダ」という飲み物をよく飲んでいた記憶があるが、これは1964年から80年頃まで売っていたというので、記憶ちがいではないだろう。更別村には自動車の修理工場が一つだけあって、私はそこのむっちゃんという子供と仲良しだった。

更別村の農家は、一戸あたりの耕地面積が32.3ヘクタールという。全国平均が1.57ヘクタールなので、ぜんぜん規模が違うという事だ。

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