“intro”ジャムセッション

今日は故郷の帯広から東京に遊びに来た兄夫婦と一緒に高田馬場「intro」のセッションに行く。

夕方6時ごろお店に入るとカウンターもテーブル席もかなりの程度人で埋まっています。ここのジャムセッションは5時開始なのですが、ひと通りの楽器パートが揃ってセッションらしくなるのは普段はもっと遅い時間なのでちょっとびっくりです。

今日はベースがとても多い日で、5,6人ほどいます。逆に少ないのはピアノで、一人しかいないのでずっと出ずっぱり、ピアノ弾き放題状態です。ピアノが参加しなくても演奏自体はできるのですが、コード楽器がないと曲を見失う「演奏事故」が起こりやすく、ベーシストはどうしても保守的なベースランニングをせざるを得なくなって演奏の自由度が減ってしまいます。

今日はじめて見るギターの方がまるでケニー・バレルのようなほれぼれするような職人的アドリブソロを見せていて目が釘付けです。あとアルトの若いプレイヤーでプロ並にうまい方もいました。今日は全体的にレベルが高めのように感じます。

私自身は”Joy Spring”, “Solar”, “There will never be another you”, それと名前がわからないけどセロニアス・モンクの曲に参加しました。特に最後のモンクの曲ではインドネシアから来たというドラムの方と共演できて楽しかったです。

兄は東京にくるといつも私とイントロに行きます。逆に私が帯広に帰省した時はいつも私と兄で「B♭M7」に行きます。夏休みには帰省するつもりなので、次はB♭M7で会いましょう。

PiO

懐かしいものを見つけた。

http://p6-kei.hp.infoseek.sk/151_Pio/PiO.html

子供の頃、パソコン雑誌というのは自作したゲームプログラムを投稿する雑誌のことでした。私はゲームというものが作れる事がわかると、プログラムを作っては雑誌に投稿する事を繰り返すようになりました。

最初は電波新聞社の「月刊マイコン」という雑誌に2回投稿したがボツになり、3回目は工学社の「PiO」という雑誌に中学生になって投稿してやっと掲載されました。このページのPC-6001用ゲーム「Bug Fire!」がそれです。3ページと6/10ページが掲載され、原稿料は3万6千円でしたが源泉徴収を取られて3万2400円受け取った覚えがあります。

私にとっては、周囲の誰もやっていない、誰も教えてくれないことを一人で調べてプログラミングに熱中した子供の頃の日々は人生の宝物です。

PC-6001にはアスキー社から出ていたSEAM-60というアセンブラの開発環境を乗せて、マシン語でプログラムを開発していました。当時はプログラムの保存手段が音楽用カセットテープという状況だったので、まずプログラミングの前にカセットテープからプログラムを読み込ませ、プログラミングし、テープに保存して、それからプログラムを実行という感じだったと思います。ステップ実行、ブレークポイント、ログ出力なんて高級なことはできないので、「実行 –> 暴走 –> 原因を推測する」という繰り返しだったと思います。

参考になった本は「PC-Techknow 6000」という本で、たしか6001で使えるサブルーチンコールが(今で言うAPI?)に関する資料が充実していた記憶があります。Z-80のマシン語は何かの本で勉強したはずなのですが、どうやって勉強したか思い出せません。

「Bug Fire!」というゲームは元ネタがあり、PC-8001用のゲームとして開発されたものをPC-6001用に作ってみたかったのです。プログラムコードは公開されていましたが、マシン語を逆アセンブルして読むのは大変だったので、ゼロから作ってしまいました。

子供に買い与えてはみたもののまったく未知で理解できないPCなるものに子供が毎日熱中しているのを見て「そんな事ばかりしていないで勉強しなさい」とは一言も言わなかった両親には本当に感謝しています。たしか、まだファミコンのない時代だったと思います。