introセッション

春休みで妻と子供が北京に帰省している。久しぶりに高田馬場「イントロ」のジャムセッションに行ってみる。

夜7時くらいに行ってみると、もうそれなりに客(演奏者)が入っている。しかし、この時間に必ずいるピアノの宮部さん、ドラムの山石さん、ベースの村山さんがいない。どこかでライブでもやっているのかもしれない。

イントロの常駐ベーシストは若い人で(名前はわからなかった)オーソドックスなスタイルながら技術が高く、共演者が安心してのびのびといいソロをしそうなベースランニングをしていた。ベースはしばらくの間彼ともう一人と私の3人だった。今日はピアノが多く、また皆レベルが高かった。数人の初心者らしきおじさんグループが来ていて、代るがわる楽しそうに演奏をしていた。

私自身は「You and night and music」「Take the A train」「Mr. P.C.」等の演奏に参加して10時頃帰る。

introセッション(高田馬場)

夜の10時頃イントロに行く。

店内に入ってみると今日はそれほど混んでいない。ベースはお店が雇ったベーシスト一人だったが、11時頃もう一人やってきた。私はFのブルースと”When the lites are low”、あともう一曲くらい演奏する。ピアニストは3人いたが皆レベルが高かった。

小田急の町田行き最終電車に間に合うようにイントロを12時に出たが、人身事故で山手線がまさかの停車。終電に間に合わず新宿のマンガ喫茶で仮眠をとり朝帰る。

introセッション(高田馬場)

久しぶりに高田馬場introにセッションに出かける。夕方5時からジャムセッションが始まるのだが、その5時に行った。

さすがにこの時間ではまだ人は集まっておらず、セッションが始まるまでしばらく煙草を吸いながらぼんやりしていた。ぽつりぽつりと常連が集まってきてなんとなくセッションが始まる。

今日は珍しくブルースギターのおじいさんが来ていた。開口一番「3曲ソロをやります。それから1曲ブルースをやりましょう」と言いいきなり演奏が始まったので面食らってしまった。最近来る人らしい。

今日は若い人がたくさん来ていた。一人若いドラムの人で非常にうまい人がいて関心した。シンバルレガートもスネアの入れ方も技術が高いうえに安定し、かつ余裕があって他の人の演奏が見えている。特に関心したのが強く演奏するところと弱く演奏するところを心得ている事だ。ちょっとうまくなったドラマーは「最初から最後まで手数が多く強く演奏」することがありがちで、これは聞く側からすると非常にメリハリのない平坦な演奏に聞こえてしまうのである。

なぜか今日は大阪や宮城など遠方から来た方が多かった。

私自身は「Just Friends」「Good Bait」「In Your Own Sweet Way」「Stablemates」「Night and Day」を演奏した。「Stablemates」は譜面割が変則的でドラムのバースを回すのに苦労したが誰も見失わなかったのは共演者のレベルが高かったのだろう。

10時前に帰る。

introセッション(高田馬場)

久しぶりに東京へ遊びに来ている兄と、イントロセッションに行く。

6時頃店に入ってみると、ベースが4人ほど、他の各パートが一人づつという非常に珍しい事態(セッションでベースが足りないというのはよくあるが、逆はない)になっていた。ピアノで常連の宮部さんが今日は来ておらず、宮部さんの演奏を楽しみにしていた兄はややがっかりしているようだった。

今日の自分の演奏は初見の曲が多く、譜面を渡されて演奏が始まり、曲想を掴む頃には演奏が終わってしまうという感じだった。

ドラムとギターでレベルがかなり高い若い人が来ていた。9時頃帰る。

キース・ジャレットトリオ コンサート(渋谷)

今日から、北海道の兄が遊びに来ている。渋谷で一緒にキース・ジャレットトリオのコンサートを見た。

キースのトリオは私が学生の頃絶頂期で、死ぬまでには一度見に行きたいと思っていた。久しぶりに見る3人はすっかりおじいちゃんになっていた。キースの演奏は相変わらずだが、神経を張り詰めて苦悶の表情を浮かべ奇声をあげながら音を捻り出す昔のスタイルはかわって、リラックスした感じでゆったりと演奏していた。ディジョネットもすっかり演奏が丸く普通っぽくなり、ちゃんと24でハイハットを踏むスタイルになっていた。ピーコックだけは音楽性もテクニックも絶頂期とかわっていなかった。スタンダードが中心だったが、最初の「Solar」を除いて皆ミディアムスローかバラードのゆったりした曲だった。

エディ佐藤と彼のスウィング楽団

思わぬところで見つけた。

「エディ佐藤と彼のスウィング楽団」の2008年の演奏だ。

佐藤さんを最初にお見かけしたのは札幌駅近くにあった「ニューオリンズクラブ」というライブハウスで、当時私は大学一年生のジャズ研部員だった。モダン一色のジャズ研でスウィングジャズといえばダンス音楽としか思っていなかった私は彼らの演奏を聞いてショックを受けた。

その後、私は人生最初で最後のリーダーバンド「阿部昭敏とスウィングジャーナル」というバンドを作って活動していたことがあった。もちろん「エディ佐藤と彼のスウィング楽団」を最大限リスペクトしたバンドだった。

佐藤さんはその後メンバーの転勤等の理由で「スウィング楽団」の活動を休止することになってしまった。

当時私は碇昭一郎さん(tp)のバンドでベースを弾いていたのだが、ドラムの黒田さんの後任でエディ佐藤さんが入ることになり、思いがけなく共演できることになった。エディ佐藤さんはストレートなビバップも十二分に演奏できる方だったのだ。ちなみにその当時碇さんのバンドにはピアノの井上祐一さんやサックスの日暮龍一さんもいた。

いつのまにかエディさんのスウィング楽団が復活しているのを見て今日はとても幸せな気分である。

introセッション(高田馬場)

昨日から小4の息子はサッカーの遠征に行っている。小1の娘は一人で本を読んでいるようなタイプなので家のなかが静かだ。

夕方5時にイントロに行ってみた。さすがに5時ではまだセッションは始まっておらず、しばらく人が集まるのを待ちながら雑談していた。5時半ごろに宮部さん・山岸さん・村山さんのイントロ常連がそろってセッションスタート。

今日は珍しいことにチェロが2人もいる。滅多に見かけないチェロ・ジャズマンが2人もいるのに遭遇するのははじめてだ。1人は若いイケメンチェリスト、もう一人は以前見かけたことのあるおじさんチェリストだ。ピアノはしばらく宮部さん一人で、何曲も連続して演奏していた。ベースは私のほかにイントロ常駐ベーシストの若者、村山さん、5弦エレキベースの方、初めて見る若いベーシストとめずらしく多い日だった。ギターが2人ほど、ドラムが3~4人?あとフルートの若者もいた。サックスはアルトの若者と常連のテナーの方が来ていた。あと女性ボーカルが一人。

ざっと見て白髪まじりの常連から私のようなおじさん、大学ジャズ研らしいイケメンまでかなり年齢層が広いセッションだった。

私自身は、チェロがフロントで”How Insensitive”、テナーがフロントで”Broadway”、マスター井上さんと”I could write a book”、”Lady Bird”を演奏した。9時過ぎに帰る。

introセッション(高田馬場)

イントロにセッションをしに夜9時頃行ってみた。

今日はサッカーの試合があるので普段混んでいるイントロも空いているかなと思ったが、やっぱり混んでいた。だがよく見るとギャラリーが多くプレイヤーは少ない。管はマスターの井上さん(as)と常連のおじさん(ts)だけで、ギターが多かった。また今日は常連が多いような気がする。

演奏しながらもやはりサッカーが気になっていたが、なんとイントロ備え付けのテレビでサッカーを見ながらセッションということになった。途中1点入れられたときはちょうど私の演奏中だったが、演奏どころではなかった。

私自身は「You’d be so nice to come home to」「All of me」「Airegin」を演奏した。11時を過ぎて帰ろうと思ったら牟田さん(ds)が来た。とっても久しぶりでせっかくなので「Secret Love」を一緒に演奏した。

introセッション(高田馬場)

今日は高田馬場「イントロ」のジャムセッションに行ってきた。

日記を見たら前回行ったのが去年の10月31日でその前が6月13日。一年に2、3回のペースだ。夜7時頃着く。暗い店内には相変わらず人がたくさん来ている。

ベレー帽をかぶったはじめて見る人が今日の当番ベーシストみたいだった。ベースは他に村山さん、金髪の若いお兄ちゃん、大柄な人、それと私。ピアノが3人くらい、ギターが2人、アルトがマスターと若い人の2人、テナーが一人、ドラムはたくさんいた。途中マスターが紹介してくれたのだがアルトやドラムやギターが18歳とか19歳の若い人だった。皆かなり上手い。この年齢でこのレベルという事は高校か中学くらいからジャズをやっている事になる。アルトのアドリブフレーズやアクセントの置き方、ドラムのシンバルレガートなんかを聞いてもちゃんとした先生について体系的にジャズを勉強した跡がうかがえる。ジャズ研で勝手流で演奏技術を身につけた私のような手合いとは明らかに毛色が違う。イントロの演奏者の顔ぶれを見ても半分くらいは若い人で(以前は常連のおじさんが多かった)、何となく新しい自分たちとは違う時代が始まったような雰囲気を感じた。

自分は「Lazy Bird」「Confirmation」とあと一曲を演奏した。3曲演奏したところでもう体力的に限界で、右手も血豆ができた。