エディ佐藤と彼のスウィング楽団

思わぬところで見つけた。

「エディ佐藤と彼のスウィング楽団」の2008年の演奏だ。

佐藤さんを最初にお見かけしたのは札幌駅近くにあった「ニューオリンズクラブ」というライブハウスで、当時私は大学一年生のジャズ研部員だった。モダン一色のジャズ研でスウィングジャズといえばダンス音楽としか思っていなかった私は彼らの演奏を聞いてショックを受けた。

その後、私は人生最初で最後のリーダーバンド「阿部昭敏とスウィングジャーナル」というバンドを作って活動していたことがあった。もちろん「エディ佐藤と彼のスウィング楽団」を最大限リスペクトしたバンドだった。

佐藤さんはその後メンバーの転勤等の理由で「スウィング楽団」の活動を休止することになってしまった。

当時私は碇昭一郎さん(tp)のバンドでベースを弾いていたのだが、ドラムの黒田さんの後任でエディ佐藤さんが入ることになり、思いがけなく共演できることになった。エディ佐藤さんはストレートなビバップも十二分に演奏できる方だったのだ。ちなみにその当時碇さんのバンドにはピアノの井上祐一さんやサックスの日暮龍一さんもいた。

いつのまにかエディさんのスウィング楽団が復活しているのを見て今日はとても幸せな気分である。

introセッション(高田馬場)

昨日から小4の息子はサッカーの遠征に行っている。小1の娘は一人で本を読んでいるようなタイプなので家のなかが静かだ。

夕方5時にイントロに行ってみた。さすがに5時ではまだセッションは始まっておらず、しばらく人が集まるのを待ちながら雑談していた。5時半ごろに宮部さん・山岸さん・村山さんのイントロ常連がそろってセッションスタート。

今日は珍しいことにチェロが2人もいる。滅多に見かけないチェロ・ジャズマンが2人もいるのに遭遇するのははじめてだ。1人は若いイケメンチェリスト、もう一人は以前見かけたことのあるおじさんチェリストだ。ピアノはしばらく宮部さん一人で、何曲も連続して演奏していた。ベースは私のほかにイントロ常駐ベーシストの若者、村山さん、5弦エレキベースの方、初めて見る若いベーシストとめずらしく多い日だった。ギターが2人ほど、ドラムが3~4人?あとフルートの若者もいた。サックスはアルトの若者と常連のテナーの方が来ていた。あと女性ボーカルが一人。

ざっと見て白髪まじりの常連から私のようなおじさん、大学ジャズ研らしいイケメンまでかなり年齢層が広いセッションだった。

私自身は、チェロがフロントで”How Insensitive”、テナーがフロントで”Broadway”、マスター井上さんと”I could write a book”、”Lady Bird”を演奏した。9時過ぎに帰る。

introセッション(高田馬場)

イントロにセッションをしに夜9時頃行ってみた。

今日はサッカーの試合があるので普段混んでいるイントロも空いているかなと思ったが、やっぱり混んでいた。だがよく見るとギャラリーが多くプレイヤーは少ない。管はマスターの井上さん(as)と常連のおじさん(ts)だけで、ギターが多かった。また今日は常連が多いような気がする。

演奏しながらもやはりサッカーが気になっていたが、なんとイントロ備え付けのテレビでサッカーを見ながらセッションということになった。途中1点入れられたときはちょうど私の演奏中だったが、演奏どころではなかった。

私自身は「You’d be so nice to come home to」「All of me」「Airegin」を演奏した。11時を過ぎて帰ろうと思ったら牟田さん(ds)が来た。とっても久しぶりでせっかくなので「Secret Love」を一緒に演奏した。

40

今日で40歳になった。名実ともにオッサンである。

この年をしていったい何をやっているんだろうと思うこともある。思えば社会に出てから明日がどっちにあるのかずっと確信が持てなかった。ずっと不安定で不安定であるという点では安定していた。ITの世界を選んだのだからそれは仕方がない。これしかできなかったのだ。

長男とは30歳差で、父とも30最差だ。つまり長男は今年10歳で、父は今年70歳になる。

未来館

連休中に子供達と「日本科学未来館」というところに行ってきた。

日本科学未来館は、お台場にある6階建ての科学パビリオンだ。最近できたものらしく、私も行くのははじめてだ。いろいろな科学展示物があって、さわって動かして楽しめるだけでなく、職員(たぶん現役の研究者)が子供相手にやさしく説明してくれる。

企画展で「きみのみらい みらいのきみ かこさとしと探しにいこう」というのをやっていた。かこさとし(加古里子)は有名な絵本作家で、「からすのパンやさん」や「だるまちゃんとかみなりちゃん」等を書いた人だ。今年84歳だが展示物の屏風を熱心に描いて職員を驚かせたという。

予約制の実験教室というのもあって、定期的に「ロボット」「バイオ」「DNA」「超伝導」等を子供向けに実験させている。

私が面白いと思ったのが「インターネットの物理モデル」という展示だった。これは白黒16個の玉を並べてボタンを押して転がすと前8個の玉の並び方で行き先を、後ろ8個の玉の並び方でカタカナ1文字を送れるという展示物だった。

インターネット物理モデル

 

詳しい人にはピンとくるだろう。16個の白黒の玉はパケットで、要するにIPネットワークを玉とレールで表現したものなのだ。白黒なのはもちろん玉1個が1ビットという意味である。しかしそんなことを全く知らない子供達でも面白がって玉を16個並べて送っては着いた着いたと遊んでいる。飽きるほど遊んだ頃に職員がインターネットの原理を説明する算段である。

この手の他の施設に比べ、規模も内容も格段に充実している。小学1年と4年の子供を連れて11時頃に行ったのだが、6時の閉館時間いっぱいまで遊んでいた。ここの特色は現役の研究者が素人と子供を相手に説明していることで、普段仲間内の会話しかしていない研究者に一般人に直接説明させる機会を持たせるという教育的な意味も感じられる。子供にあからさまにつまらなさそうな顔をされて毎日冷や汗をかくなかで素人にうまく伝えるスキルが磨かれるのだと思う。ちなみにここの館長は元宇宙飛行士の毛利衛氏だ。

稼働監視

AmazonEC2の日本語コンソール「Cloudworks」がバージョンアップした。

http://www.cloudworks.jp/2010/04/27/バージョンアップのお知らせ/

今回のバージョンアップの目玉は、デイリーで稼働状況がメールで送られてくる事だ。これは、自分には非常にありがたい。

Webサイトを運営していると、如何にして稼働監視をするかが課題になる。自分は「SiteAlert」や「AlertMe」を使って外部から無人監視をしているのだが、Cloudworksの稼働監視はアカウント内全インスタンスの稼働レポートを送ってくれる。外部からの監視とは違う切り口なので、補完的に運用できる。

新たな課題

非常に地味な記事かと思ったら刺激的な記事だった。

情報社会の新たな課題~消えた年金のシステム問題~

記録システムの百万件以上のデータが間違っている。86年の段階で社保庁もSIerも認識していた。なのにそのままシステム移行した。なぜそんな事が起こってしまうのか。恐ろしいのは、当時と今で構造的問題が何一つ変わっていない事だ。

ServersMan@VPS

DTIのServersMan@VPSでサーバーを立ててみた。

ServersMan@VPSは、DTIの親会社のフリービットが作ったServersMan(CentOS+sendmail+WebDAV)をVPSで立ち上げるサービスだ。驚くべきはその価格で、ストレージ10GBメモリ256MのVPSで月額490。VPSとしては今のところ世界最安値である。

クラウドコンピューティングの存在価値を決めるのは1にも2にもコストで、コスト競争になると規模の大きさが決め手になる。今からAmazonEC2を追いかけても手遅れだと思っていたので、非常に驚いた。

このブログも今ServersMan@VPSで動いている。Apacheは最初から入っていたので、MySQLとPHPをインストールしてその上にWordPressをインストールした。今のところスペックが小さいのがネックだが、台数でスケールアウトできるような用途には非常に向いていると言えるだろう。

introセッション(高田馬場)

今日は高田馬場「イントロ」のジャムセッションに行ってきた。

日記を見たら前回行ったのが去年の10月31日でその前が6月13日。一年に2、3回のペースだ。夜7時頃着く。暗い店内には相変わらず人がたくさん来ている。

ベレー帽をかぶったはじめて見る人が今日の当番ベーシストみたいだった。ベースは他に村山さん、金髪の若いお兄ちゃん、大柄な人、それと私。ピアノが3人くらい、ギターが2人、アルトがマスターと若い人の2人、テナーが一人、ドラムはたくさんいた。途中マスターが紹介してくれたのだがアルトやドラムやギターが18歳とか19歳の若い人だった。皆かなり上手い。この年齢でこのレベルという事は高校か中学くらいからジャズをやっている事になる。アルトのアドリブフレーズやアクセントの置き方、ドラムのシンバルレガートなんかを聞いてもちゃんとした先生について体系的にジャズを勉強した跡がうかがえる。ジャズ研で勝手流で演奏技術を身につけた私のような手合いとは明らかに毛色が違う。イントロの演奏者の顔ぶれを見ても半分くらいは若い人で(以前は常連のおじさんが多かった)、何となく新しい自分たちとは違う時代が始まったような雰囲気を感じた。

自分は「Lazy Bird」「Confirmation」とあと一曲を演奏した。3曲演奏したところでもう体力的に限界で、右手も血豆ができた。